2014年10月5日日曜日

すっかり秋です。

このところ気持ちばかりが忙しく、しばらく間が空いてしまいました。。
11月から絵の学校に通おうと考えているため、きちんと課題本を設定した会はしばらくはしないように思います。ブックパーティやラウンドテーブルなど、集まっておしゃべりする・考える場は気まぐれに開催しようかと。少人数での飲み会なども。興味のある方はお気軽にメッセージくださいね。

文学の会をしてきましたが、わたし自身はみなさんのように多く本を読む方ではなく。
ただ子ども時代を本の虫のように過ごしてきたため、文学はほかのものより身近に感じています。

この会は、そもそもささやかなおしゃべりができたらと思い、はじめました。
その思いが叶えられて嬉しかったです。
会にいらしてくださった、すべての方に感謝を!
これからも、どうぞよろしくお願いします。


2014年8月20日水曜日

3回目

今週の日曜日の夜にまたブックパーティを開催します。
第一回の様子はこちら→
http://smallcamp3.blogspot.jp/2014/03/book-party-vol1_21.html
あ、おでんなんて作ったんでした。
(半年を経て、今や食器すら紙皿紙コップに移行。。おでんなんて。。)

目標は、終電解散です!

2014年8月6日水曜日

ラウンドテーブル#2 参考文献・キーワード!

は、肝心なものを忘れてました。
以下ラウンドテーブル2での参考文献、キーワードについて、当日のメモを誤字脱字もそのままに登載します。かろうじて撮った書籍写真もあわせて。

後日、気分がのりましたら、整理修正・アマゾンにリンク貼りなど作業いたします。。
期待せずにお待ちくださいませ。

***

【Round table#2 memo】

まえどまりさん
日米地位協定入門

アレックス・カー
二十年

下山事件
みたか レッドパージ
森達也
陰謀論

二二六事件

富士
武田泰淳
森と湖の祭
光苔

ふうりゅうむたん事件

ノーノーポーイ

辻井喬
沈まぬ城
詩集

日本人は何を目指してきたか?
土曜日
大本教

げいようしゃ
頭山満
杉山充
戦前

佐伯一麦

森まゆみ
谷根千

狼の護符

コリアン ディアスポラ

クイーンビー症候群

小倉千加子
結婚の条件

負け犬の遠吠え









ラウンドテーブル2回目を終えて。

いやはや夏本番であります。
はや一ヶ月前になってしまいましたが、前回のラウンドテーブルのまとめを書きます。
みなさん、すばらしい本をたくさん持ち寄りご紹介くださったのに、遅くなっちゃってすみません。うう。

事務所にて開催。少人数かと思いきや、思ったより集まったのでした。
来れないかもそいじゃ集客しても仕方ないかしら、とあてにしていた社会問題の鬼、Kさんがまず突然いらっしゃいました。そして、編集者のYさん、ひさびさに降臨なさった哲学青年のSさん、画家のTさんと自称イラストレーターのわたしの計5人です。

出た本やテーマ・時事等は次記事にて。

***

ムージルをやるやる書きましたが、次回はカルヴィーノ「見えない都市」にいたします。
今東京都写真美術館でやっているフィオナ・タンの展示と合わせて行おうと。フィオナのやっている写真の問題とマルコ・ポーロが語る伝聞の都市(複製)の物語と繋がる部分があるようで、写真展→読書会という流れを考えてます。招待券たくさんあるので、お渡しできます。

その前にわたしのまったく個人的な趣味で、真夏のスティーブン・キング読書会をする予定です。スモールキャンプでは、自身の感覚や概念を拡張・新たに獲得しうる文学作品について取り扱うことにしているので、もしかしたらサイトでの告知はしないかもしれません。スティーブン・キングに興味のある方はメッセージくださいませ。

2014年7月8日火曜日

Round table#2 集団的自衛権☓読書会

突然開くことにしたので、これはもう今日のことになります。
http://www.smallcamp.org/archives/1531

社会問題の会で、いつも場を牽引して下さる方がいらっしゃれそうにないため、今回は文学系の方々メインで少人数ではありますが、取りあえず集まって本を紹介しつつ飲み会☆というゆるい感じで考えております。

ラウンドテーブルでは文学以外の色々な方をお呼びする会にできたらと思っているのですが、それはまた#3のトライアルで!

そして次こそは、文学!ムージルをやりたいと考えてます。

使っているイラストは、ずいぶん以前(2006年!)に描いた水彩画です。
透明水彩の重なりが面白くて、この頃は良く描いてました。




2014年7月2日水曜日

集団的自衛権 官邸前抗議デモ

7/1、官邸前にて集団的自衛権の抗議デモに参加してきました。
Kさんから「行かないのですか?」とお声がけいただき行くことに。それをFBに書いたところ記事を見たYさんも来ることになり、現地で3人会うことができました。

*お誘いするって大事だなあという話しです。わたしはあまり活動的なタイプではないので、気持ちはあってもひとりきりだとまず行かなくて。お誘いすると案外多くの方が連れ立ってくれるかもしれないと思いました。

***

【集団的自衛権が導入されたら、今後どういった社会になるのか】

ツイッターで見つけたのですが、集団的自衛権について、建築家の西沢大良さんの話しがたいへんにリアルでおそろしいです。

http://togetter.com/li/687005

これは「公共事業としての戦争」についての話しです。ひとたびそれが始まれば、戦地にビジネスが生まれ、企業が殊に貧しい人々の斡旋をはじめます。(沖縄の基地でたくさんの沖縄の民間人が働くのと同様に)また今日本で行われている原発作業員の斡旋と同じ構図です。

聞いた話しでは、被災地の仮設住宅には、一日三万円で原発で働きませんか、というビラが入るそうです。そういった話しがちらほら。新しい貧困ビジネスのターゲットとして仮設住宅が設定されている。これも似た話しと思います。


しかし原発作業員には、ずっと以前からホームレスをスカウトしてたわけです。ただわたしが見聞きしない場所で。それがだんだん身近に、もしかしたら自分自身に起こるようになるのだなあと思いました。


すこし気の遠くなる思いがします。



2014年6月23日月曜日

お試し会感想|断片 #0

★ 断片 #0 | お試し会
http://www.smallcamp.org/archives/1471

金曜日のお試し会について。
お試しということで、センサーのきめ細やかな読書家3名にお声がけさせていただきました。
哲学を読まれる画家Tさんに、思想系の読書家Kさん。卒論を小島信夫で敢行するという文学部の学生Iさんです。

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断片の間をつなぐ仕掛けについては、件の水煙草を用いました。
煙草といっても本物の煙草ではありません。わたしは煙草は吸わないので、ノンタール・ノンニコチンのトウモロコシの葉で出来た代用品を使ってのお試しです。
一服ふかし断片を読む、 一服ふかし断片を読む、その反復によるリズムです。

トータル40分ほど。
悪くなかったです。ほんわかのんびりしました。でも今ひとつキレがなかったかも。
雑談しながらだったり、どうしても可笑しくなって笑ってしまったり。 。とはいえ雑談しないと、初対面同士は緊張がほぐれなかったりしますものね。そんなこんなで、ひとつの短編をみんなで輪読する時の、あのしぃんとした深度のある時間は感ぜられませんでした。
わたしが机にたくさん断片を置いちゃったせいもあるかしら。ぽつんとしたまっさらな空間に断片だけある、それを渡りあるく、みたいなイメージを持ってたのですが具現化できず。

ううむー。むずかしいですが、なんにしろムージルはこのスタイルで行きたいと思います。あたらしくお誘いする方々の同意を得られれば。(今回のお試し会で、一般の方の受けとる水煙草のあやしさはやはり否めないという認識に達しました。。)
そして、ちゃんと深く潜れるよう、もすこし考えてみます。

*まったく期待してなかったのですが、TさんIさんが断片をご持参くださり嬉しかったです^^

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お試しを終え、飲み会に移行。

すこしづつ人が集まってきている感じです。次回が楽しみです。
いらしてお付き合いくださったみなさま、どうもありがとうございました。


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【断片の素】


Tさん

  • 北風のうしろの国』ジョージ・マクドナルド
    *はじめて聞く作家ですが、とても良い文章。さっそく購入!
Iさん
S


【話題に上がった本や作家(でわたしのメモに残っていたもの。。)

  • 』中上健次(著)*中上健次でまず最初に読むと良い本。
  • 成熟と喪失』江藤淳 (著)
    *非常に重要な批評。必読!
  • チェーザレ・パヴェーゼ
    *飲み会のさなか、Kさんが詩を一篇朗読してくださいました。とてもよかったです。


2014年6月15日日曜日

断片 #0

今月はムージルをしたいと思っていたのですが、頼りにしている方の来れなくなってしまったため、その前段としてまずお試し企画をすることに。
どういうリズムになるか、実際やってみてムージルに臨めたらと思っています。
http://www.smallcamp.org/archives/1471

試作としてアラカルトな断片を幾つか作ってみたのですが、いや、これは読むだけでもちょっと面白いです。そして「カウボーイ幻想の夜」で取り扱ったリディア・デヴィス短編の断片がすごく良いかも!!そもそも断片のような短編なんですが。




2014年6月2日月曜日

届きました。

水タバコセットが。。

しかし、これを見た家人から痛烈な批判が。。
あやしすぎてみながドン引きすること確実だと言うのです。。

ううむー。そうかー。
やはり、そうなのでしょうか。

カフェにも学びにいったし、
いいアイデアだと思ったのですが。。無念です><

週末、事務所にお客さんがあるので、その時リサーチしてみようと思います。

うう。。




2014年6月1日日曜日

真夏のような。

アトレ吉祥寺ファーイーストバザールのジェラード。
高級品。いちじく味が気に入りました。おいしい。


公共(パブリック)について

半径10メートルの世界?
社会問題に関心のある方というのは、そう多くないのだなあと感じます。

わたしも特に関心が強いわけではないのですが、自分に知る義務や責任のあるように感じています。世界の中でもごく一握りの、恵まれた国に生まれた者として、この日本のわたしたちが知らなければ一体誰が知ればいいんだろうって。

(わたしたちはいつまでも世界の国々の中で責任のない幼い子どもで、白人の国のもっと教養のあるインテリたちにすべて任せておけば良いと、どこかで思っているのかも)

義務や責任のある感じ、その感じの根拠は、たぶん公共、パブリックという概念です。わたしの中では、誰もが誰もに責任がある、というイメージです。
世界に関わる以上、その仕組みの上に乗っかって、さまざま享受する参画する以上、その世界に対して責任を追う、それはほとんど権利であるかも。
この公共という物差しを、もっと多くの人が持ってくれると話しがしやすいのになあ、と思うことがよくあります。 手持ちの物差しの違う者同士の会話ほど、すれ違い続けるものはないから。。

わたしたちの豊かさは、何を犠牲にして(安い食べ物、安い服、安いサービス)成り立っているのか。オートマティックに様々なものが供給され、それは自動販売機のようなブラックボックスに見えるかもしれないけれども、中では誰かが泣いたり苦しんだり、死んでしまったり。そういうことに、まずは知るということからでも、関わっていかねばならないのではないか。

知るのはつらいことなので、今それを受け止められない人は、手に余るから受け取らない、そういう選択をするだけでもいいと思います。無自覚で避けることと、意識して避けることはまるで違う。
わたしも、 つらい社会問題に触れると、つかれて元気がなくなってしまうので、どこまでも知ることや関わることは出来ません。際限のなさすぎて、すり減ってしまう。
自分の楽な範囲で知れることをと思います。


2014年5月30日金曜日

新しい企画

つぎはいよいよsmallcampでもムージルをしようかなあと考えてます。
LC読書会で思ったのですが、ムージルは本文を読んでその体験をするのがすべてというか、 みなで感想を述べ合ったり分析をしたりする、いわゆる読書会には向かないようです。

なので、作品そのものを体験として受け取れる形の会を出来たらと思います。
具体的には、作品の断片、ある程度まとまったセンテンスを出力して、バラバラに並べてみんなで順番に読むような。参加者のみなさんに、断片を持ち寄っていただいてもいいですね。冷静な方がいらっしゃるとはずかしいので、ムージルにひたれる方限定でしょうか。。(LC読書会でムージルの気持ちよさを解くわたしは、われながら思春期の不思議ちゃんぽくて、でもそれ以外にどうしようもなくてなかなかこっ恥ずかしかったです。。^^;)
そして、それをゆったり楽しむのに、どうしよう、お酒かなあなど思っていたのですが、いいことを思いつきました。水タバコです。

これはゆったり出来そうな気がします。
以前に吉祥寺の水タバコ専門のカフェに行ったことがあり、その時はのどがいがらっぽくなってしまったのですが、調べてみるとノンニコチン・ノンタールのものや、小石をシロップにつけたものなど、健康に気づかった物もいろいろな種類あるようです。
各人にマウスピースを用意、一吸いして断片を読む、それを6,7人でまわす。トータル40分ほどと考えると、一酸化炭素問題なども諸々、特に心配はないと思われます。

ただ、あやしさ満点ですが。
(ただでさえも音読はあやしいのに。。)

カフェでまたリサーチ、あれこれ研究して見ようと思います。



2014年5月29日木曜日

おめでとうございます。

ムージルを教えてくださった画家のTさんが、
トーキョーワンダーウォールの公募に受かられたとのこと^^
おめでとうございます。ぜひ観に行かなくては!


2014年5月27日火曜日

もひとつ短歌。

きのう見つけた短歌の歌集、さっそく届きました。

ずうっと読んでると、胸のあいだ、みぞおちがじんじんします。ささやかな断片のとても多くが押し寄せる感じ。また、うっすらと感じられる世界の遠くとその距離は岡田利規の「わたしたちに許された特別な時間の終わり」を思い出しました。
10年くらい前からの短歌なのだけど、ちょっと架空の都市東京の生活をみるよう。近いような遠いような不思議な気持ちになります。

***

日本の中でたのしく暮らす 道ばたでぐちゃぐちゃの雪に手をさし入れる

テレビみながらメールするメールするぼくをつつんでいる品川区

パチンコ屋の上にある月 とおくとおく とおくとおくとおくとおく海鳴り

まぶしいから電気が見たいチカチカが激しい中で何か言いたい

カップルが映画の前売券をえらぶガラスケースを抜けゆく西陽

ある駅の あるブックオフ あの前を しゃべりながら誰かと歩きたい

あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな

五円玉 夜中のゲームセンターで春はとっても遠いとおもう

夕焼けがさっき終わって濃い青に染まるドラッグストアや神社

やさしい人やかわいい人と生きていく 家に着いたらニュースが見たい

ぼくの人生はおもしろい 18時半から1時間のお花見  
 


高いところ・広いところで歩いてる僕の体は後者を選ぶ

建物がある方ない方 動いてる僕の頭が前者を選ぶ

整然と建物のある広いところ 僕全体がそっちを選ぶ


http://www.amazon.co.jp/dp/B00C4UOWSU



詩をふたつ。

先日のラウンドテーブルについて投稿しました。
http://www.smallcamp.org/archives/1344

文章を書くのはめんどうで大変なことなのですけれど。それでもわたしが友人に教えてもらったり、またわずかばかりではありますが時間を割いて本を読んだり映画を観たりして思ったことなので、教えてくれる友人のたまたま居なくて本を読む機会も取れなかった、ほかのわたしのために、役に立てられれば良いとの思いで書いてます。

きのうの朝に見つけた詩を二つ。
(わたしは詩に詳しいわけではないのですが、たまにネットで詩を採集します)


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『蝶』  辻征夫


自転車に乗っていて
紋白蝶を
轢いてしまったことがある

 ■

路上に
しみのようなもの
なにかわからない黒っぽい
小さなもの
があった
紋白蝶にも
それが見えたにちがいない
なぜって
正確にその一点に
舞い降りたから――
自転車が通過した

 ■

ぼくはときどき
顔を覆って
(叫び)をこらえることがある
ほんの一瞬だけれども



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『溜った血』  川田絢音


土管が放りだしてあり
覆いをかぶせた単車が置き去りにされている
覆いの縁から
すぐにはじまる 低い空
空が何気なく分泌するものに
塞がれてしまいそうになりながら
歩いている

小学校の前を通るが
どよみは聞こえない
犬を連れている男と擦れちがう
犬は 男より小さく 犬型をしている
不意に
角の交差点に十二、三人立っていて
アスファルトに赤い血が溜っている
誰かがそれだけの血を流していった

溜った血が
鮮やかな物質として
投げ出されている


(『川田絢音詩集 悲鳴』より)





2014年5月23日金曜日

考える場、はじめます。

サイトの投稿記事の推敲がたいへんなので、小休止。。

元々今週の土曜日は、気軽にサイト告知なしのブックパーティをする予定だったのでした。
サイトの企画告知の文章を作るのがたいへんなので(ちゃんとした文章を書こうとすると途端にたいへんに。。)。ですが急遽前回から参加してくださってる方に「丁度その日良い映画が無料である」との情報をいただき、ではそっちを観に行く会にしようじゃないかと気軽に変更したのでした。

映画はルワンダ虐殺がテーマの『四月の残像』です。
同じテーマで『ホテル・ルワンダ』『ルワンダの涙』は以前に観ていて、経緯もなんとなくはわかっていると思っていたのですが、ネットでルワンダ虐殺を調べるにつれ、まったくわかっていなかったことがわかったんでした!!ルワンダ虐殺はアフリカだから起こったものではないのです!!!

ルワンダ虐殺は、植民地時代に支配国のベルギーが支配しやすいようあえて部族間を対立させ、差別意識を持たせることに起因しているそうです。植民地時代が終わりを告げ、様々な国が独立しても、非支配国は連綿と植民地時代の影響を受け続けます。。(社風がなかなか変わらないので同じですね)
なんというか三つ子の魂百まで的に子ども時代のあれこれが成人してもずっと人生を支配しつづけるのと同じようなイメージです。そして日本もまた例外ではありません。

「ルワンダ虐殺」をググっていて、幾つ目かに以下のブログ記事を見つけました。
ライムスター宇多丸師匠がウィークエンド・シャッフルで語った内容についての記事(必読!)です。http://miyearnzzlabo.com/archives/17934

さっそく『九月、東京の路上で』をアマゾンで注文し、驚くべきことに当日届いたのでその日のうちに読んだのでした。
むむむー!!これは、マズいです!!!
アフリカ人だけではなかった!日本人も十分マズい!というか人間ってマズい!
これは多くの人に読まれるべき本だと思い、そのためにもと思い企画記事の形にしたのがおとといです。


***

思うのは、人間は動物なので残酷なことに惹かれるということです。残酷なこととか性的なことは、わたしたちにとってベーシックな衝動で、いやだなあと思ってもその衝動の薄まったものや姿を変えたものは、様々なところでわたしたちに生きる楽しみをもたらします。
映画で悪いことするやつが後半残酷な死に方をするのを、わたしたちはスカッとする心地で期待するし、適齢期の好ましい女の子たちはテレビ番組や映画、雑誌さまざまな場所に欠かせません。わたしたちの獣性のかけらがその楽しみをもたらします。そのかけらは時としてひとをやんちゃにチャーミングに見せたり(ワルはモテる、みたいな)。
それは批判される種類のものではなく、だって性質として備わっているのだから、その上に多くの生きる楽しみがのっかっているのだから、わたしたちは抑圧するのではなくコントロールする術を学ぶべきなのです。そのために教育があります。

とかとか思い、直前ではありますが、サイトに企画記事を掲載した次第です。
また読書メーターで若干名レビューや選書のすてきな方にお誘いも試みました。
当日は、ポストコロニアル(植民地時代後)について大学で専攻されていた方や、国際政治に詳しい方も会にいらっしゃるので、インターネットより解像度の高い話しをお聞きできるかと思います。


***

Round table 考える場 #1|映画『四月の残像』を観る
── ルワンダ・ジェノサイドからヘイトスピーチまで/繰り返すレイシズムとその構造
http://www.smallcamp.org/archives/1342

2014年5月2日金曜日

Sleeping Beauty

スリーピング ビューティー
Sleeping Beauty
監督・
脚本ジュリア・リー
原作
川端康成『眠れる美女



日本公開にあたり、へんちくりんなサブタイトルが付いてしまっているのですが、良い映画です。殊に最初(でおそらく最後)の顧客である老人がカメラにモノローグで語りかけるところ、

And now, tonight, for the first time I say “my bones are broken.”  
Broken.  One day I will need your help.  All of my bones are broken.

堂々たる、良いカット。以下全文です↓
http://flautapantera.tumblr.com/post/11512571907/all-of-my-bones-are-broken

監督はオーストラリアの女流作家。
カメラよし、美術よし、ファッションよしで、端々まで気が配られてます。
 (あのサブタイトルさえなければ。。監督かわいそう;;)





2014年4月27日日曜日

ジャ・ジャンクー レトロスペクティヴ

今、吉祥寺バウスシアターで「ジャ・ジャンクー レトロスペクティヴ」をフィルムでやってます。

昨日は「青の稲妻」と「長江哀歌 」を観てきました。
金曜日だったせいかもしれませんが、人の入りも少なく、だからバウスはなくなるのかと思いました。

良い映画を観られる場所がなくなるのは、かなしいことです。そうやって良いものから遠ざけられ、希薄な、雰囲気だけで満たしたもの(それはジャンクフードのように味付けも濃くわかりやすく、下ごしらえせずにすぐに食べられる)に暮らしを取り囲まれるようになるのは、かなしい。まわりからじわじわと資本家たちに調教されていくことも、またもっともっと本当に旨いものを味わうことを知れるひとが、その機会から(それは世界が繋がるのと同じ速さ、同じ省略のやり方で)遠ざけられてしまうことも。

 「閉館ということで申し訳ないという気持ちでいっぱいであります。閉館の理由はいろいろとありますが、老朽化 ということでご理解いただけたら。吉祥寺を買い物だけの町にしていいのか? 町には文化が必要だという気持ちで孤独な戦いをしてきました」(昨日のニュースで読んだ、バウスシアター社長の言葉)

 *

「青の稲妻」と「長江哀歌」、どちらもとても良かったです。
「長江哀歌」では、妻を探す男ハン・サンミンの物語の細部の豊かさに強く惹きつけられました。(この映画は、妻を探す男と、夫を探す妻。その二人の物語の交錯で描かれます)改めて、細部から普遍に至る映画が好きだなあと思う。

あと初作である「一瞬の夢」と「四川のうた」は観たいです。
来週の金曜日まで。



2014年4月21日月曜日

ムージル研究?

来月のLC読書会は、わたし選書のムージル「愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑」です。
ブックパーティにて画家のTさんに教えていただいた本で、とても良い感じでしたので自分の読みがてらと思い推薦をしたところ、首尾よく選ばれてしまいました。。
とりあえず読んで、後はググればなんとかなるかしら、と思ってたのですが、ちょっとググっただけでも奥行きも見えぬほどの深い穴の存在がありありと!(しまったっ)

取りあえず以下3冊購入。年を追う毎に本の読めなくなってきているわたしですが、、
一ヶ月でどうにかなるかしら。。><

ロベルト・ムージル」古井 由吉
ムージル 観念のエロス」古井 由吉
可能性感覚―中欧におけるもうひとつの精神史」 大川 勇

*どうも「可能性感覚」というものがムージル作品のキーワードらしく。。
 哲学がはげしく絡んでいないことを祈ります。。

2014年4月15日火曜日

ひさびさに☆

Y・Fさんが先日のお花見読書会に際し、まとめてくださった考察がすばらしいので、記事用に挿絵作り。ひさびさにライトボックスを使い、ペンとインクでイラストを描きました。
*右は元絵を用い、デジタルで配置デザイン出力をしたものです。

以下、Y・Fさんの考察です。ぜひお読み下さい。
http://www.smallcamp.org/archives/976


2014年4月4日金曜日

ニッポン・桜というお化け──「桜の森の満開の下」お花見読書会

いよいよ明後日!お花見読書会のサイトご案内ができました。
http://www.smallcamp.org/archives/893

安吾から、近代日本史より現在のグローバリズムへと、桜を巡る時間の旅です。
旅の水先案内人は近代日本思想に造詣の深い編集者のY・Fさん。
また「桜の森 の満開の下」での桜の表象、
ひいては日本文学における桜の表象そのバリエーションについても

触れられたらと予定しております。

わたしたちが今現在も絶え間なく失いつつあるもの、とすでに失ってしまったもの。
桜のもと、文学と歴史を通してそれらをふりかえり、
まだ握りしめているものについて愛おしむ。
春のひととき、そういった時間を共に持てたらさいわいです。

もちろん、読書会ならではの意見交換、お花見宴会も合わせてとり行います!
定員はございませんので、興味を持たれた方はどなたさまでもご参加いただけます。
現在、20代から60代までの読書家の大人16名+ちびっこ3名がエントリーです。
今回は世代が広いので、本を中心としたコミュニケーションの遊びも考えております。

どうぞよろしくお願いします。



2014年3月21日金曜日

BOOK PARTY vol.1



先日ふいに時間が空いたので、事務所でブックパーティなるものを開きました。
パーティと言っても4名しか集まらず、小会ではありましたが仕込んだおでんや、お手製のお惣菜などいただきつつ、こじんまりとかわいい時間になりました。

*おでんの天ぷらは、吉祥寺の塚田蒲鉾店にて購入。おいしかったです。
*ブックパーティのルールは簡単、おすすめ本を1冊以上持ち寄りぐっとくる箇所を読み上げる、何冊でもどれだけでも読んで下さりかまいません。

食事を買出しから手伝ってくださったYさん、
参加してくださった方々、楽しい時間をありがとうございました^^

以下備忘録を兼ね、各人のおすすめ本をメモ的に。


【Yさん・選書テーマ「夫婦】
  1. 海辺の生と死」島尾 ミホ(著)
    ミホは島尾敏雄の妻で沖縄生まれ。晩年、夫とのことを文章に書くようになる。狂気の人。
  2. エドの舞踏会」山田風太郎 (著)
    山田風太郎の代表作は「魔界転生」や忍法帖シリーズ。破天荒な話しの中で時折医学の知識がまことしやかに挟まれるのが面白い。(風太郎は医科大学出)
  3. ミラノ霧の風景」「コルシア書店の仲間たち」 須賀敦子(著)
    須賀敦子はタブッキなどイタリア文学の翻訳で有名。コルシア書店は当時反政府的なコミューンのような集まりだった。 
  4. 富士日記」「ことばの食卓」武田百合子(著)
    武田百合子は武田泰淳の妻。島尾ミホ同様、泰淳の死後、文章を書きはじめる。

【Tさん】
  1. 愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑」ムージル (著),  古井 由吉 (翻訳)
    ひさしぶりに再版されたとのこと。(Tさんの読んでくれた箇所はどこもカッコよかった!しかし全編まるごととにかくカッコいいとのこと。おそるべし)
  2. 「南回帰線」 ヘンリー・ミラー(著)
    とてもかっこよく面白い。ヘンリー・ミラー、婦人はアナイス・ニン。


【S】
  1. 蜘蛛女のキス」プイグ (著)
    様々な境界の融けあう話し。
  2. トーベ・ヤンソン短篇集 黒と白」トーベ・ヤンソン (著)
    トーベ・ヤンソンでは「機関車」について小会ならではの赤裸々な話しを。「灰色の繻子」を通しで朗読。 
  3. 東京の昔」吉田健一
    わたしは吉田健一を「酒飲みだけの行くことのできる御伽の国」を素晴らしく描ける作家だと思っているのですが、それについての記述どまんなかと思われる箇所を朗読。

【Y・Tさん】
  1. 武井武雄の本」別冊太陽「武井武雄の本
  2. 江戸時代の面白画集
    (タイトル失念・・・。Y・Tさん23時ごろからの参加のため、お茶割りにより次第にわたしの記憶が曖昧に。。)
  3. Y・Tさんによる手作り絵本
    美術家であるY・Tさん。制作テーマを題材とした、ご自身の企画による街歩きで出会った小学二年生の女の子との共著。企画の手伝いをしていた関係で感慨深く拝見。子どもの遠大と卑近の入り混じった物語が破天荒で良くて、Y・Tさんの編集手腕も見事な一冊。

2014年3月7日金曜日

ドラマ人間模様「シャツの店」

今やってたプレミアムアーカイブスのドラマ人間模様「シャツの店」山田太一脚本が実によかったです。

殊にシャツ職人の周吉が、長年連れ添い仕事を手伝わせてきたおかみさんの作ったシャツについて、おかみさんの居ないところで感想を言う場面、そのセリフがすばらしく。
いまいちしっかり思い出せませんが「あいつのシャツは実に一生懸命喋ってくる。例えばボタンの位置、俺のつけるボタンより少し高い位置だ。そうかと思えば俺のやり方を真似しているところは実に忠実に真似をしている」など。つまり、職人同士の対話がシャツを通してなされているわけです。あなたのここはわたしは納得がいかない、わたしの答えはこうである。あなたのここはとても良い。といったように。それは、とても豊かで雄弁な対話です。

口下手でいわゆる昔のお父さんである周吉は心に思う愛情や感謝の気持ちをおかみさんに伝えきれておらず、それが二十数年積もりに積もっておかみさんが出てっちゃうことになる訳ですけれども。
その伝えきれなかった、周吉が使いこなせなかった言語の反対側にあるもうひとつの言葉、非言語でシャツを通した対話がなされます。くー、山田太一、にくいです><

ドラマなのにすごい脚本だなー、と思いました。
俳優も良く、鶴田浩二の遺作でもあります。
今のドラマにあるような過剰さがなくて、そうしなくても良い時代だったんですね、素直でいいなあと思いました。面白かったです。

https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=700-20131212-10-34367

2014年3月4日火曜日

NHKBSプレミアムシネマにて「濡れ髪三度笠」。1959年、主演市川雷蔵。「鴛鴦歌合戦」など日本の昔の大衆ミュージカルものが実に素晴らしいらしく。一度観てみたかったのですが、これはふつうの活劇でした。でもカメラの絵作りも良く、屋敷や家屋など、かなりかっこいいです。大衆ものでこれだけカメラが良いのって、今はないなあと思う。

江戸から続く当時の質の高さやかっこよさって、一体どこに行っちゃったんだろう。大きな断絶のある気がします。西洋の文化や様式を萎縮してミニチュア化して受け入れざるを得なかったからかしら。それが今のCawaiiに繋がってるのかもです。

今カッコいいことがちょっと気恥ずかしいのって、伝統や文化の有無じゃないかと思います。しょせん借り物の文化であると、どこかでわたしたちは知っていて、江戸の人たちのように自信を持って粋には振る舞えない。精神を伴わない、物を知らない表面だけの装いかっこ悪いことじゃないかって思いが、センスを磨くことを投げやりにした結果、わたしたちは総じてダサくなっちゃってるのかもしれません。それでいうと日本人は今だ傷ついて拗ねているのかもしれないです。カッコイイって随分気持ちの良いことを、誰もがこうも手放す態度というのは。

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森鴎外「青年」より。
夏目漱石をモデルとした拊石なる人物の講演の場面から抜粋。
(痛烈な日本批判!)

「イブセンは初めノオルウェイの小さいイブセンであって、それが社会劇に手を着けてから、大きなヨオロッパのイブセンになったというが、それが日本に伝わって来て、又ずっと小さいイブセンになりました。なんでも日本に持って来ると小さくなる。ニイチェも小さくなる。トルストイも小さくなる。ニイチェの詞を思い出す。地球はその時小さくなった。そしてその上に何者をも小さくする、最後の人類がひょこひょこ跳っているのである。我等は幸福を発見したと、最後の人類は云って、目をしばだたくのである。日本人は色々な主義、色々なイスムを輸入して来て、それを弄んで目をしばだたいている。何もかも日本人の手に入っては小さいおもちゃになるのであるから、元が恐ろしい物であったからと云って、剛がるには当たらない。〜」


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追記:
先日聞いた話しによると、むしろ江戸が特殊な街であったようです。戸籍もない、結婚制度も存在しない、自由な気風のある種ユートピアのような稀有の都市であったとか。だから日本も昔はかっこよかったのに、というのは間違いであるようです。たまたまそういう特殊な街が一時あった、という。。
ちがう世代の方々と知り合う場に行きはじめ、ちょっとワクワクしています。
心のかたちが似ているので、年が20や30違っていても、わたしたちは地続きなんだという感覚。たとえば川島雄三監督の「幕末太陽傳」冒頭の描写がすばらしく。現在と幕末が地続きであると実に確かに表せられているところ。世代による分断はその世代の空気に依ってしか考えることのできない人たちの幻想で、一般論で、実際に在るのは心のかたちによる分断なのだと思う。(傾向はもちろんあります)

一般論のやつにやっつけられないように、っていつも思います。一般論はそれが上手く出来なかった人たちの嫉妬だと思う。自分以外の人間が上手くいくことがないように。なので、どんなに一般的でなくても、変わってても、不道徳でも、自分の生きるルールは自分で作った方がいいです。

*地続きにものをみること(世界はひとつである)。自分で考えて答えを見つけること。場当たり的に安易に誰か権威の考えを切り貼りしないこと(ついやってしまう)。未分化な昏い心の領域をなるべく減らしていくこと。(ある種のまがい物の直感はそこからやってくる)



2014年2月24日月曜日

LC読書会を終えて:森鴎外「青年」

先日のLC読書会。課題図書は森鴎外の「青年」、総勢12名のたいへん活気づいた楽しい時間となりました。

はずかしながら森鴎外を読むのは今回が初めてです。
なにやら他の作家の小説と勝手が違っているように思われるのは、これが西洋の文化・文学を知らしめるべく書かれたものだからなようです。
漱石「三四郎」の出された2年後、西洋の文化を啓蒙する同志を得たり、とばかりに森鴎外はこの作品を発表したそうです。実際「青年」の随所に漱石のこと、また「三四郎」と呼応する設定の数々が反復されます。

「青年」主人公の純一は、作中出てくる女性すべてが思いを寄せるほどの美少年です。それに対して会で(わたし含め)違和感を唱える声が数々あがったのが面白かったです。^^なにしろ主人公の純一は、どう考えても鴎外その人なのです。(作品では容姿の優れ勉強も出来る、モテる優等生ならではの苦悩も描かれていたりします

思うに、鴎外はいわゆるKY(空気読めない)、天然の人なのかもしれません。だから留学生活を生き生きと楽しめたのかも。その鈍感力を持ってして。
一方漱石は、繊細で空気を読みすぎてしまったため臆してしまい、留学先で神経衰弱になり、だけれども帰国後は細やかな気遣いの、誰もに愛される作品を書いた。。
オノ・ヨーコのエッセイに「わたしは美人で頭も良いのに、なぜか人に嫌われる」という一文があったことを思い出し、ちょっとそう思いました^^

しかし鴎外が鈍感かと言うとそういうことでは全くなく、会でも鴎外は理系の人というお話しの出たのですが、きっと向いてる方向が違うのだと思います。作中、純一と友人の大村が、純一の下宿先でこれまでになく打ち解け議論し合った後に、友情の楽しさを緘黙の中に味わう場面のあり。わたしはそれが今の感覚ぽくてびっくりしてしまいました。

様々な価値観が押し寄せ、入り乱れ、転覆、反転する明治の時代に、鴎外や漱石の成し得たことは大きなことだと思いました。彼らはまた数々の造語を作っているそうです。言葉は概念です。新しく概念を得ることはとてもむずかしいことです(それこそが勉強だと思うのですが)。生まれてこのかた聞いたこともない概念を数多く得て、体系付ける。名前を付け普及をさせる。とても大変なことだったと思います。それが恐ろしく短い時間で行われたのが明治という時代のようです。「青年」という作品のぎこちなくも青くどこか過剰な(パワフルな)印象は、明治という時代の若さ、空気かもしれません。

*(「三四郎」読み返さなきゃ!ほとんど忘れてます・・・)

2014年2月13日木曜日

動物たち。

動物たちのお面をたくさん買い込みました。
これを使って何か企画をと考えています。
オリヴェイラの「カニバイシュ」みたいなイメージ、もしくはキューブリックの「アイズ・ワイド・シャット」など。

これで輪読するとしたら、どういうお話しがいいんだろう。
(読んだことないのですが、バロウズとか?)
ゴシックでかっこ良い文章で、ちゃんとストーリーテリングもあるお話しが良い。
どなたかお心当たりあれば教えてください。



マノエル・ド・オリヴェイラ 「カニバイシュ」
http://jc3.jp/portugal2010/works_main.html#osc

2014年1月19日日曜日

あけましておめでとうございます。

(タイミングを逃すと、年始の挨拶は書くべきか書かざるべきか、なやましいものですね)

昨日はじめて、国分寺恋ヶ窪公民館で開催されているLC読書会に参加してまいりました!
課題図書は多和田葉子「尼僧とキューピッドの弓」。
想像以上に本格的で、大学教授をされてる方などもおられ、とても勉強になりました。
「尼僧とキューピッドの弓」は二部構成で、第一部では男と奔走した尼僧院長が不在ながらも中心人物として取り沙汰されるのですが、西洋の小説の約束事で、不在のものは神なのだそう。むむむ、はじめてききましたそういう話し!「ゴドーを待ちながら」のゴドーもまさに神(God)だとか。また第一部で神として機能していた不在の尼僧が第二部で姿を現し語り始めるという展開は西洋圏の方々には驚くべきものらしく、実に多和田さんらしいウィットに富んだものであるとのこと。とても有意義な時間でした。そしてこの小説の主題は「小説の作られる小説」ということです。
LC読書会、来月は次回は森鴎外の「青年」です。薄いらしいのでなんとか読めそうです。
明治は殊に興味深い時代と思うので、どんなお話しが聞けるのか今から楽しみです。



当スモールキャンプについては、ボルヘスの輪読会を3月はじめに予定しております。そして桜の散るころに、坂口安吾の「桜の森の満開の下」を読めたらと。
予定が立ちましたらサイトにてご案内させていただきます。
http://www.smallcamp.org/

それでは、今年もどうぞよろしくお願いします。