2014年3月21日金曜日

BOOK PARTY vol.1



先日ふいに時間が空いたので、事務所でブックパーティなるものを開きました。
パーティと言っても4名しか集まらず、小会ではありましたが仕込んだおでんや、お手製のお惣菜などいただきつつ、こじんまりとかわいい時間になりました。

*おでんの天ぷらは、吉祥寺の塚田蒲鉾店にて購入。おいしかったです。
*ブックパーティのルールは簡単、おすすめ本を1冊以上持ち寄りぐっとくる箇所を読み上げる、何冊でもどれだけでも読んで下さりかまいません。

食事を買出しから手伝ってくださったYさん、
参加してくださった方々、楽しい時間をありがとうございました^^

以下備忘録を兼ね、各人のおすすめ本をメモ的に。


【Yさん・選書テーマ「夫婦】
  1. 海辺の生と死」島尾 ミホ(著)
    ミホは島尾敏雄の妻で沖縄生まれ。晩年、夫とのことを文章に書くようになる。狂気の人。
  2. エドの舞踏会」山田風太郎 (著)
    山田風太郎の代表作は「魔界転生」や忍法帖シリーズ。破天荒な話しの中で時折医学の知識がまことしやかに挟まれるのが面白い。(風太郎は医科大学出)
  3. ミラノ霧の風景」「コルシア書店の仲間たち」 須賀敦子(著)
    須賀敦子はタブッキなどイタリア文学の翻訳で有名。コルシア書店は当時反政府的なコミューンのような集まりだった。 
  4. 富士日記」「ことばの食卓」武田百合子(著)
    武田百合子は武田泰淳の妻。島尾ミホ同様、泰淳の死後、文章を書きはじめる。

【Tさん】
  1. 愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑」ムージル (著),  古井 由吉 (翻訳)
    ひさしぶりに再版されたとのこと。(Tさんの読んでくれた箇所はどこもカッコよかった!しかし全編まるごととにかくカッコいいとのこと。おそるべし)
  2. 「南回帰線」 ヘンリー・ミラー(著)
    とてもかっこよく面白い。ヘンリー・ミラー、婦人はアナイス・ニン。


【S】
  1. 蜘蛛女のキス」プイグ (著)
    様々な境界の融けあう話し。
  2. トーベ・ヤンソン短篇集 黒と白」トーベ・ヤンソン (著)
    トーベ・ヤンソンでは「機関車」について小会ならではの赤裸々な話しを。「灰色の繻子」を通しで朗読。 
  3. 東京の昔」吉田健一
    わたしは吉田健一を「酒飲みだけの行くことのできる御伽の国」を素晴らしく描ける作家だと思っているのですが、それについての記述どまんなかと思われる箇所を朗読。

【Y・Tさん】
  1. 武井武雄の本」別冊太陽「武井武雄の本
  2. 江戸時代の面白画集
    (タイトル失念・・・。Y・Tさん23時ごろからの参加のため、お茶割りにより次第にわたしの記憶が曖昧に。。)
  3. Y・Tさんによる手作り絵本
    美術家であるY・Tさん。制作テーマを題材とした、ご自身の企画による街歩きで出会った小学二年生の女の子との共著。企画の手伝いをしていた関係で感慨深く拝見。子どもの遠大と卑近の入り混じった物語が破天荒で良くて、Y・Tさんの編集手腕も見事な一冊。

2014年3月7日金曜日

ドラマ人間模様「シャツの店」

今やってたプレミアムアーカイブスのドラマ人間模様「シャツの店」山田太一脚本が実によかったです。

殊にシャツ職人の周吉が、長年連れ添い仕事を手伝わせてきたおかみさんの作ったシャツについて、おかみさんの居ないところで感想を言う場面、そのセリフがすばらしく。
いまいちしっかり思い出せませんが「あいつのシャツは実に一生懸命喋ってくる。例えばボタンの位置、俺のつけるボタンより少し高い位置だ。そうかと思えば俺のやり方を真似しているところは実に忠実に真似をしている」など。つまり、職人同士の対話がシャツを通してなされているわけです。あなたのここはわたしは納得がいかない、わたしの答えはこうである。あなたのここはとても良い。といったように。それは、とても豊かで雄弁な対話です。

口下手でいわゆる昔のお父さんである周吉は心に思う愛情や感謝の気持ちをおかみさんに伝えきれておらず、それが二十数年積もりに積もっておかみさんが出てっちゃうことになる訳ですけれども。
その伝えきれなかった、周吉が使いこなせなかった言語の反対側にあるもうひとつの言葉、非言語でシャツを通した対話がなされます。くー、山田太一、にくいです><

ドラマなのにすごい脚本だなー、と思いました。
俳優も良く、鶴田浩二の遺作でもあります。
今のドラマにあるような過剰さがなくて、そうしなくても良い時代だったんですね、素直でいいなあと思いました。面白かったです。

https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=700-20131212-10-34367

2014年3月4日火曜日

NHKBSプレミアムシネマにて「濡れ髪三度笠」。1959年、主演市川雷蔵。「鴛鴦歌合戦」など日本の昔の大衆ミュージカルものが実に素晴らしいらしく。一度観てみたかったのですが、これはふつうの活劇でした。でもカメラの絵作りも良く、屋敷や家屋など、かなりかっこいいです。大衆ものでこれだけカメラが良いのって、今はないなあと思う。

江戸から続く当時の質の高さやかっこよさって、一体どこに行っちゃったんだろう。大きな断絶のある気がします。西洋の文化や様式を萎縮してミニチュア化して受け入れざるを得なかったからかしら。それが今のCawaiiに繋がってるのかもです。

今カッコいいことがちょっと気恥ずかしいのって、伝統や文化の有無じゃないかと思います。しょせん借り物の文化であると、どこかでわたしたちは知っていて、江戸の人たちのように自信を持って粋には振る舞えない。精神を伴わない、物を知らない表面だけの装いかっこ悪いことじゃないかって思いが、センスを磨くことを投げやりにした結果、わたしたちは総じてダサくなっちゃってるのかもしれません。それでいうと日本人は今だ傷ついて拗ねているのかもしれないです。カッコイイって随分気持ちの良いことを、誰もがこうも手放す態度というのは。

***

森鴎外「青年」より。
夏目漱石をモデルとした拊石なる人物の講演の場面から抜粋。
(痛烈な日本批判!)

「イブセンは初めノオルウェイの小さいイブセンであって、それが社会劇に手を着けてから、大きなヨオロッパのイブセンになったというが、それが日本に伝わって来て、又ずっと小さいイブセンになりました。なんでも日本に持って来ると小さくなる。ニイチェも小さくなる。トルストイも小さくなる。ニイチェの詞を思い出す。地球はその時小さくなった。そしてその上に何者をも小さくする、最後の人類がひょこひょこ跳っているのである。我等は幸福を発見したと、最後の人類は云って、目をしばだたくのである。日本人は色々な主義、色々なイスムを輸入して来て、それを弄んで目をしばだたいている。何もかも日本人の手に入っては小さいおもちゃになるのであるから、元が恐ろしい物であったからと云って、剛がるには当たらない。〜」


***

追記:
先日聞いた話しによると、むしろ江戸が特殊な街であったようです。戸籍もない、結婚制度も存在しない、自由な気風のある種ユートピアのような稀有の都市であったとか。だから日本も昔はかっこよかったのに、というのは間違いであるようです。たまたまそういう特殊な街が一時あった、という。。
ちがう世代の方々と知り合う場に行きはじめ、ちょっとワクワクしています。
心のかたちが似ているので、年が20や30違っていても、わたしたちは地続きなんだという感覚。たとえば川島雄三監督の「幕末太陽傳」冒頭の描写がすばらしく。現在と幕末が地続きであると実に確かに表せられているところ。世代による分断はその世代の空気に依ってしか考えることのできない人たちの幻想で、一般論で、実際に在るのは心のかたちによる分断なのだと思う。(傾向はもちろんあります)

一般論のやつにやっつけられないように、っていつも思います。一般論はそれが上手く出来なかった人たちの嫉妬だと思う。自分以外の人間が上手くいくことがないように。なので、どんなに一般的でなくても、変わってても、不道徳でも、自分の生きるルールは自分で作った方がいいです。

*地続きにものをみること(世界はひとつである)。自分で考えて答えを見つけること。場当たり的に安易に誰か権威の考えを切り貼りしないこと(ついやってしまう)。未分化な昏い心の領域をなるべく減らしていくこと。(ある種のまがい物の直感はそこからやってくる)