2015年11月15日日曜日

ドゥルーズ『差異と反復』 第一弾

秋もどんどんと深まり、散歩の楽しい季節になってきました。

次回の哲学勉強会は12月後半を予定しています。
せっかくなので、忘年会と一緒にできたらと思っています。
テキストはドゥルーズの『差異と反復』の第二章、時間についての章を今後三回に分けて。今回は『差異と反復』を読んでらっしゃるEさんが、旗振りをしてくださいます。

smallcampはいよいよ哲学一色になってまいりました。。
今後勉強会は、掲示板を作った新しい仕組みを取り入れるかもしれません。
変わったり変わらなかったりしながらも、一緒に居てくださる方々とともに、細く長く続いていけたらと思っています。

それでは、今後ともどうぞよろしくお願いします。

2015年8月9日日曜日

声を聴く。

もうじき終戦記念日です。
8月6日に広島に「ウラン爆弾」が、8月9日に長崎に「プルトニウム爆弾」が落とされ、8月15日に終戦をむかえる。2種類の異なる原子爆弾が落とされたことは紛れもなく冷徹な実験でした。(ただもし大日本帝国が原爆を有していたならば、情け容赦なくそこここに落としまくったことと思う。一片のモラルもなく)

戦争を体験した世代の方々が減る一方の中、直接の体験のよすがにでも触れることのない世代が増え。わたしはなんとなく取り返しのつかないものを逃すような思いをこの時期になると感じます。両親は戦争を体験はしていないけれども、悲惨な状況を肌で感じることの多かった世代です。その空気のようなものをわたしは感じて育ちました。ですが、わたしたちの世代の子どもたちに空気は伝わらないでしょう。ある時代常識だったことが、いとも簡単に別のものに塗り替えられることが起きる。たった10年前のことでも、体の感覚から遠のいていることを感じます。忘れるのは、わたしたちにとってたやすいことです。

いつか、戦争のあの時期の暮らしぶりについてお年寄りたちの声を聴く会、を企画したいなあと思っていたのでした。大文字の戦争ではない小さな話しを。顔を見合わせることの出来る小さな場で。

どなたかお手伝いしてくださる方がおられたら、うれしいです^^




とりいそぎのmemo :
NHK、鶴見俊輔、50年後の未来は気になるか?という質問に対し。永遠は生に含まれる。
ホワイトヘッド(哲学者)最後の講演、壇上を降りる時の最後の一言を聞き逃しFAXで送ってもらった。そこには「Exactness is a fake.(精密さは作り物)」とあった。永遠は生きている感覚の中に在るのだ、最後の一息の中にも在る。

(若い時に感じた「一生」や「年をとってからの感覚」は今にして思えばまるきり違うものだったとしばしば思う。あれは若い日に想像した老いでしかなく、嘘ではないが若い日に含まれたものだった。若い日の一部だった。今に在るものがすべてできっと永遠だ。)

2015年8月7日金曜日

同じ場所で出会えること

次回の哲学勉強会は8月22日、テキストはドゥルーズの「内在ーひとつの生…」です。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309464092

哲学勉強会について思うのは、まったく寂しくない!ということです。
本を読んでいて、なんと同じ場所で出会える!!とても心の通いあう感じがします。

例えば文学は、読み手がさまざまなレイヤーで受容できる豊かさを持っているのですが、同時にそれは読み手同士がなかなか同じ場所で出会えないということでもあると思うのです。出会えないというと語弊がありますが、、ばちっとココ!って感じで出会う可能性が少ない。ただばちっと出会うことはない一方で、より多くの方とほんわか重なる感じはあって、それはとてもカラフルな楽しみです。ただ時として自分はまぎれもなくひとりだということを感じさせもします。


*お盆前進行で、〆切がたいへんなことになっております。。
*別府に帰省することもあってよけいに。。><

2015年7月27日月曜日

大阪、ヴォルフガング・ティルマンス展。

7/24、25と大阪へ。
国立国際美術館でヴォルフガング・ティルマンス展を観てきました。
日本では11年ぶりになる大きな展覧会です。
(オペラシティのあの展示が、11年も前のことだとは、、!)
http://www.nmao.go.jp/exhibition/exhibition_b2.html

展示の感想をメモがてら。
男か女かという枠組み。(男か女かという概念を捨て去り、裸の男女をあらためれば、きっとその姿らは良く似ている。物理的な差異は小さなものに過ぎないが、わたしたちの頭の中で差異は膨れ上がる)ひとたびそれを疑うことを始めたら、あらゆる枠組みを疑わざるを得なくなる。そういった枠組みのもたらす矛盾について考えざるを得なくなる。考えはじめることは、枠組みからの解放に至る最初の一歩だ。とはいえ以前ゲイの友人から、ほとんどのゲイは非常に保守的という話しを聞いた。まず革新的な話しは出来ない、ゲイこそ保守、なのだそう。(わかる気はする、弱い少数であることは人を縮こまらせ勇気をなくさせる。勇気がないと多数の権威に従うようになる。自分の頭で考える事をはじめた人を除いて。考えるのは勇気とコストがいることなのだ。後でも書くけども、写真がティルマンスに考えること・考え続けることをさせたのではないかと思っている)

モニターの荒い粒子と宇宙、活動家、人、自然、人工物。倉庫のような場所に立つ眉毛の繋がった男性はまるで森で不意に人間と出会った野生動物の姿のようだった。ミクロとマクロのものが繋がること。ひとつであること。

作品、トゥルーススタディーセンター。テーブルの上の様々なスクラッピング。ティルマンス以外の人によって構成されたもの。思考が外部化されたように思う。写真を撮る行為とはなんなのか。



ティルマンス、アーティストトークの内容を幾つか。箇条書きに。

・世界認識について。トゥルーススタディーセンター(テーブル上でのスクラッピングの作品)の部屋にかけてあった写真群は(例えば蟹とハエの写真)、ものすごく解像度の高い印刷技術で出力されているそう。人の目では認識できないほど精密に。自分が認識出来ていることと認識出来ていない外部がある。しかし全体が見えているということが重要。蟹の写真は全体が見えている。たとえばデモについて。その姿は、ひとりひとりは、粒子は確実に美しい。それが一番大事なこと。

・写真の持つパラドックスの問題 。例えば大きな作品とそれが縮小された小さな作品と、人は同じ作品と認識する。同一に見えるということ。

・(展示を観ていて音楽のようにリズムを感じた、ふだんはどういう音楽を聞いているのですか?という一般からの質問に対する返答)歌うのが好きだ。歌うことは特別なことだ。歌うと自分の体がなくなり、歌そのものになる。写真も同じだ。



歌の話し、すごく面白いと思った。「写真」はティルマンスにとって記憶を外部化し、その上で自分とは独立した思考をさせる自動装置ではないかと思うのだけれども。(それは自我の作用によって急速に何かを全身でフォーカスしたり、それ以外のものをすべて忘れ去ったり、ホルモンや体内の化学物質に応じて変化したりなんかしない。独立したアーカイブ)彼にとっては写真も歌と同様に、いずれも自分がなくなるということで。そういった外部装置の在り方は、勉強をすることによって(例えば法を、倫理を、哲学を)成立するものだろうと思ってたのでした。でもそれ以外の方法でそこに至るのはとても格好のよいことに思える。自我を判断に関わらせない方法を自分で生み出すこと。

先日読書会でドゥルーズのスピノザ、共通概念の項が想起させられ、まさにと思ったのでした。写真の持つパラドックスの問題は、わたしたちが認識を発展させる足がかりだ。ティルマンスの至り方は共通概念における理性の獲得・拡大の仕方と同じだと考える。愛によって美しい粒のわたしたちは世界をより美しく繋げることができる。

またわたしたちがより自分自身を推し進めたいとしたら、自分なりの自分の心に沿う仕組みを作ることはその助けになるのではないかとも思う。


雑然としてますが、とりいそぎ。

*オープニング前夜men onlyのクラブでの記念パーティ、後半ティルマンスがマイクをはなさず歌いまくってたのが印象的でした。ドラァグクイーンの方々にはじめてお会いしました。華やかでコケティッシュで、もしかしたらなろうとしている自分以外の誰か、すでにそれそのものだと思いました。2時頃には引き上げましたが、朝まで大盛り上がりだったようです。


2015年7月21日火曜日

哲学勉強会

昨日は佐々木氏による哲学勉強会が開かれました。
テキストはドゥルーズの『スピノザー実践の哲学』、共通概念の項目です。

【哲学勉強会】
ドゥルーズ ── スピノザの共通概念と勉強会を育てるためのフレームワーク
http://www.smallcamp.org/archives/1845

内容についてはいずれ佐々木氏がまとめ記事を作ってくださるそうなので、そちらをご参照いただくとして、3時間を超える密度の濃いやりとりはとてもとても楽しかったです!
こういった類いの楽しみは他にはないと思いました。

テキストの選択もまた素晴らしく。共通概念はスピノザの哲学の核となる概念なのですが、それにたった9ページで触れることができます。喜びが理性を牽引するというスピノザの考え方はまさに実践的で、日々の生活の中に気軽に取り入れることの出来る哲学です。実際スピノザを知らずにそれを実践されている方も多くいらっしゃいます。またわたしにとっては愛と愛が生み出すものについてのテキストでもありました。心を傾け注意深く読めば、どなたも得るものがある項目ではないでしょうか。本当におすすめです。

すべてが終わったのは22時、それから井の頭公園で小さな打ち上げをしました。
少し早ければ、いせやでテイクアウトの焼き鳥が買えたのですけれど。。僅差で逃しました。

夜の公園で飲むのは大学生の時のようで、そういったことも含め、実りある楽しい一日でした。


*ベルリンで撮ったパブの写真。



国会議事堂前

夏祭りのような匂い、湿度。
5年くらいしたら、
夕暮れ祭りに行った記憶として体がこの時を取り出すのかもしれません。

2015年6月19日金曜日

深夜3時。

明日〆切の作業が大量にありますが、ちょっとだけ息抜きに。。はー。

近ごろ事務所を利用される方が増え、なんだかうれしく感じています。
そもそも仕事用に貸りた場所ですが、今は飲み会と読書会以外は全く使っておらず。寝かしているのはもったいないなあと思っていたのでした。

(やっぱりお風呂、使えるようにした方がいいかな)

もっと使って下さる方が増えたら、いろいろ考えたいと思います。


*今はもうない隣家のどんぐりの木と。

2015年6月13日土曜日

ベルリン旅行

5月末のベルリン旅行。
写真はmottoというとても良い本屋さん。
*近くにトリッペンのアウトレットショップあり。
建築物の爆破解体の写真集とzine買いました。







書きたいことたくさんですが、とりあえず。

個人的には写真家ウォルフガング・ティルマンス氏の事務所におじゃまできたことが、いちばん嬉しかったです。ティルマンス氏はとてもチャーミング!な方でした。はー。

2015年5月6日水曜日

small BOOK PARTY in GW

GW中日、次回読書会に予定の合わないEさんのため、哲学青年Sさんとわたしの3人で、小さなブックパーティをしました。
数回やってみて思ったのですが、ブックパーティは少人数ですとより緊張なく思うところが話せるようです。大人数でのブックパーティはビエンナーレやトリエンナーレのようなお祭り、インデックスのようなものでしょうか。なのでたまには3人などの少人数ベース、いろいろな方の組み合わせでやっていくのも面白いように感じています。

場所は新宿めだかにて。なんとビールとハイボールが120円です!
この格安居酒屋、飲んだくれの画家Tさんに教えていただいたのですが、以来なにかと使いまくってます。この日も3人で、17時から23時まで居たわりにお会計は8千円。すばらしいです。



Eさんがローレンス『アメリカ古典文学研究』から、一部朗読してくださったのでご紹介します。この長さなのにめくるめく展開、すばらしい精度の文章です。かっこいい!

“ さて、デイナは故郷に帰った。そして法律家となり、かなり退屈だが、知名度のある市民となった。一度は大使にもなりかけている。そして格別に尊敬もされた。
 それ以前の彼は特に尊敬されていた。ともかく彼は「知った」のだ。そしてそれをわれわれに伝えてくれたのだ。これは偉大な業績だ。
 それから後はどうなったのだろうか?─いや、べつに。よくいる退屈な凡人であった。これが知識のもたらす最悪の形態である。それだけ生命が失われてしまうのだ。デイナは、二年間、目一杯生きた。そして知った。そして残されたものは彼の中から追放されてしまった。後は、ぱっとしない法律家の歳月だった。
 われわれは充分に知っている。知り過ぎている。だから何も知ってはいない。
 何かを叩きつぶしてしまおう。われわれ自身を含めて。だが、とくに機械を叩き壊してしまおう。
 デイナの小さな本は非常に偉大な本だ。そこには偉大な極限に達した知識、偉大な宇宙の基本要素についての知識がもりこまれている。
 結局、知ることが空しいことだとだとるためには、その前にすべてを知らなければならない。
 われわれは、想像力を発揮して、すべてを知らなければならない。基本要素の海を含めて。そうして知って知り続けてゆくうちに、突如として知識は収縮し、われわれは永遠に無知であると知るに至る。
 そのとき一種の平安が訪れる。そしてわれわれは、自分の無知を知り、新たに出直すことができるのだ。”



以下、各人のおすすめ本の備忘録(わたしまとめ)です。
おふたりとも哲学を読まれており、Sさんは目下小説を書いてらっしゃいます。
哲学勉強会について前向きな話しも出て、今後が楽しみな展開になってきました。


【Eさん】
  1. 資本論」(国民文庫)カール・マルクス (著)岡崎 次郎 (翻訳)
    資本論を読むなら断然、岩波文庫よりも国民文庫がおすすめとのこと。(岩波はあまりに古色蒼然としているとか。。)理論の後に実例が入るなど分かりやすい構成。普遍的で今でも十分通じる内容。
  2. アメリカ古典文学研究」D.H. ローレンス (著)
    絶版本。掘り出し物を半値で神保町で買われたそう。個々の作品の言及のみならず、ローレンスのアメリカ論、文明論として読める。そこが素晴らしく面白いとのこと。先でも引用させていただきましたが全編こればりだそうです。おそるべしローレンス。
  3. ニーチェと哲学」ジル ドゥルーズ (著)
    (すいません、、まとまったことが思い出せません。。)

【Sさん】
  1. モロイ」サミュエル・ベケット (著)
    「モロイ」はとにかく荒唐無稽な面白ギャグ小説である、という話しを以前にSさんから聞いたのでした。ですが、今はそうは思っていないとのこと。第一章ではモロイという変人について微細に描かれる。それはある意味モロイ・システムと呼んで言い。モロイ・システムが外界に対しどう反応し思索するのか、その実験が第一章。第二章で描かれるのはモロイを追うモランという謎の探偵。モランはモロイという生き物のシステムを解明しようとする。そしてモランにはモランのシステムがあるわけです。相反するシステムの人間を対比させる(このへんの記憶がうろんです。。)実験的な小説ではないかと。むむー、そうなのか!と思うと同時にここ一年、小説を書き始めてからSさんはたゆまず成長されているんだなあと感慨深かったです。

【S】
  1. 構造・神話・労働」クロード・レヴィ=ストロース (著)
    積読を解消しやっと読んだ一冊。レヴィ=ストロースが70年代に来日した際の講演と対談をまとめたもので、口語表現ということもあり、非常にわかりやすいです。民俗学初心者にまずおすすめの一冊かと。哲学のお二人ということで満を持して持って行きましたが、なんとか話しが出来てよかったと思いました。









2015年4月24日金曜日

水曜日

次回読書会にむけてミーティング。
Kさんが茄子とベーコンのトマトソースのパスタを作ってくださいました。

2015年4月10日金曜日

すっかり春です、、!

きょうはとびきり冷えますけれども、もう4月。
こころはずむ季節がやってきます。

先月、夫と関西旅行へ。
大阪では、ブリクセンの読書会をしていただいた奥山さんにお会いしました。
3人でフィオナ・タンの展示を観て(東京のよりよかったです)
大阪駅前第一ビルで、中華料理をいただきました。
旅先でこのような再会ができるのは嬉しいことです。

その後、京都のPARASOPHIAへまいりました。時間がなくて、京都市美術館をさあっとしか回れなかったけれど、どの作品も非常に粒ぞろいの印象。こういった美術祭でそれは珍しいことのように思いました。フクロウもっと観たかった。おすすめです。

***

さて次回のスモールキャンプは、河出書房の新刊『辺境のフォークロア』読書会を、Kさんご友人の著者の金子遊さんをお迎えして開催します。(Kさん、ありがとうございます!)

その後の予定としましては、ほぼ2年ぶり、S氏による哲学勉強会を開催しようかと。
2年ぶりなのは、まったくもってわたしの不徳のいたすところで。。大酒を食らうためか、頭を働かせるのがしばらく億劫でおりました。。ですが、しばらく同じテコばかり使って物を考えておりましたので、テコを増やすべくひさびさの哲学リベンジです。テキストは「現代思想」1月号、E・デューリングによる『プロトタイプ論』。S氏の気分によってテキストは変わるかも。とりあえずそういった予定でおります。