2014年6月23日月曜日

お試し会感想|断片 #0

★ 断片 #0 | お試し会
http://www.smallcamp.org/archives/1471

金曜日のお試し会について。
お試しということで、センサーのきめ細やかな読書家3名にお声がけさせていただきました。
哲学を読まれる画家Tさんに、思想系の読書家Kさん。卒論を小島信夫で敢行するという文学部の学生Iさんです。

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断片の間をつなぐ仕掛けについては、件の水煙草を用いました。
煙草といっても本物の煙草ではありません。わたしは煙草は吸わないので、ノンタール・ノンニコチンのトウモロコシの葉で出来た代用品を使ってのお試しです。
一服ふかし断片を読む、 一服ふかし断片を読む、その反復によるリズムです。

トータル40分ほど。
悪くなかったです。ほんわかのんびりしました。でも今ひとつキレがなかったかも。
雑談しながらだったり、どうしても可笑しくなって笑ってしまったり。 。とはいえ雑談しないと、初対面同士は緊張がほぐれなかったりしますものね。そんなこんなで、ひとつの短編をみんなで輪読する時の、あのしぃんとした深度のある時間は感ぜられませんでした。
わたしが机にたくさん断片を置いちゃったせいもあるかしら。ぽつんとしたまっさらな空間に断片だけある、それを渡りあるく、みたいなイメージを持ってたのですが具現化できず。

ううむー。むずかしいですが、なんにしろムージルはこのスタイルで行きたいと思います。あたらしくお誘いする方々の同意を得られれば。(今回のお試し会で、一般の方の受けとる水煙草のあやしさはやはり否めないという認識に達しました。。)
そして、ちゃんと深く潜れるよう、もすこし考えてみます。

*まったく期待してなかったのですが、TさんIさんが断片をご持参くださり嬉しかったです^^

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お試しを終え、飲み会に移行。

すこしづつ人が集まってきている感じです。次回が楽しみです。
いらしてお付き合いくださったみなさま、どうもありがとうございました。


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【断片の素】


Tさん

  • 北風のうしろの国』ジョージ・マクドナルド
    *はじめて聞く作家ですが、とても良い文章。さっそく購入!
Iさん
S


【話題に上がった本や作家(でわたしのメモに残っていたもの。。)

  • 』中上健次(著)*中上健次でまず最初に読むと良い本。
  • 成熟と喪失』江藤淳 (著)
    *非常に重要な批評。必読!
  • チェーザレ・パヴェーゼ
    *飲み会のさなか、Kさんが詩を一篇朗読してくださいました。とてもよかったです。


2014年6月15日日曜日

断片 #0

今月はムージルをしたいと思っていたのですが、頼りにしている方の来れなくなってしまったため、その前段としてまずお試し企画をすることに。
どういうリズムになるか、実際やってみてムージルに臨めたらと思っています。
http://www.smallcamp.org/archives/1471

試作としてアラカルトな断片を幾つか作ってみたのですが、いや、これは読むだけでもちょっと面白いです。そして「カウボーイ幻想の夜」で取り扱ったリディア・デヴィス短編の断片がすごく良いかも!!そもそも断片のような短編なんですが。




2014年6月2日月曜日

届きました。

水タバコセットが。。

しかし、これを見た家人から痛烈な批判が。。
あやしすぎてみながドン引きすること確実だと言うのです。。

ううむー。そうかー。
やはり、そうなのでしょうか。

カフェにも学びにいったし、
いいアイデアだと思ったのですが。。無念です><

週末、事務所にお客さんがあるので、その時リサーチしてみようと思います。

うう。。




2014年6月1日日曜日

真夏のような。

アトレ吉祥寺ファーイーストバザールのジェラード。
高級品。いちじく味が気に入りました。おいしい。


公共(パブリック)について

半径10メートルの世界?
社会問題に関心のある方というのは、そう多くないのだなあと感じます。

わたしも特に関心が強いわけではないのですが、自分に知る義務や責任のあるように感じています。世界の中でもごく一握りの、恵まれた国に生まれた者として、この日本のわたしたちが知らなければ一体誰が知ればいいんだろうって。

(わたしたちはいつまでも世界の国々の中で責任のない幼い子どもで、白人の国のもっと教養のあるインテリたちにすべて任せておけば良いと、どこかで思っているのかも)

義務や責任のある感じ、その感じの根拠は、たぶん公共、パブリックという概念です。わたしの中では、誰もが誰もに責任がある、というイメージです。
世界に関わる以上、その仕組みの上に乗っかって、さまざま享受する参画する以上、その世界に対して責任を追う、それはほとんど権利であるかも。
この公共という物差しを、もっと多くの人が持ってくれると話しがしやすいのになあ、と思うことがよくあります。 手持ちの物差しの違う者同士の会話ほど、すれ違い続けるものはないから。。

わたしたちの豊かさは、何を犠牲にして(安い食べ物、安い服、安いサービス)成り立っているのか。オートマティックに様々なものが供給され、それは自動販売機のようなブラックボックスに見えるかもしれないけれども、中では誰かが泣いたり苦しんだり、死んでしまったり。そういうことに、まずは知るということからでも、関わっていかねばならないのではないか。

知るのはつらいことなので、今それを受け止められない人は、手に余るから受け取らない、そういう選択をするだけでもいいと思います。無自覚で避けることと、意識して避けることはまるで違う。
わたしも、 つらい社会問題に触れると、つかれて元気がなくなってしまうので、どこまでも知ることや関わることは出来ません。際限のなさすぎて、すり減ってしまう。
自分の楽な範囲で知れることをと思います。