はずかしながら森鴎外を読むのは今回が初めてです。
なにやら他の作家の小説と勝手が違っているように思われるのは、
漱石「三四郎」の出された2年後、西洋の文化を啓蒙する同志を得
「青年」主人公の純一は、作中出てくる女性すべてが思いを寄せる
思うに、鴎外はいわゆるKY(空気読めない)、天然の人なのかもしれません。
一方漱石は、繊細で空気を読みすぎてしまったため臆してしまい、
オノ・ヨーコのエッセイに「わたしは美人で頭も良いのに、なぜか
しかし鴎外が鈍感かと言うとそういうことでは全くなく、会でも鴎
様々な価値観が押し寄せ、入り乱れ、転覆、反転する明治の時代に
*(「三四郎」読み返さなきゃ!ほとんど忘れてます・・・)