2014年3月4日火曜日

NHKBSプレミアムシネマにて「濡れ髪三度笠」。1959年、主演市川雷蔵。「鴛鴦歌合戦」など日本の昔の大衆ミュージカルものが実に素晴らしいらしく。一度観てみたかったのですが、これはふつうの活劇でした。でもカメラの絵作りも良く、屋敷や家屋など、かなりかっこいいです。大衆ものでこれだけカメラが良いのって、今はないなあと思う。

江戸から続く当時の質の高さやかっこよさって、一体どこに行っちゃったんだろう。大きな断絶のある気がします。西洋の文化や様式を萎縮してミニチュア化して受け入れざるを得なかったからかしら。それが今のCawaiiに繋がってるのかもです。

今カッコいいことがちょっと気恥ずかしいのって、伝統や文化の有無じゃないかと思います。しょせん借り物の文化であると、どこかでわたしたちは知っていて、江戸の人たちのように自信を持って粋には振る舞えない。精神を伴わない、物を知らない表面だけの装いかっこ悪いことじゃないかって思いが、センスを磨くことを投げやりにした結果、わたしたちは総じてダサくなっちゃってるのかもしれません。それでいうと日本人は今だ傷ついて拗ねているのかもしれないです。カッコイイって随分気持ちの良いことを、誰もがこうも手放す態度というのは。

***

森鴎外「青年」より。
夏目漱石をモデルとした拊石なる人物の講演の場面から抜粋。
(痛烈な日本批判!)

「イブセンは初めノオルウェイの小さいイブセンであって、それが社会劇に手を着けてから、大きなヨオロッパのイブセンになったというが、それが日本に伝わって来て、又ずっと小さいイブセンになりました。なんでも日本に持って来ると小さくなる。ニイチェも小さくなる。トルストイも小さくなる。ニイチェの詞を思い出す。地球はその時小さくなった。そしてその上に何者をも小さくする、最後の人類がひょこひょこ跳っているのである。我等は幸福を発見したと、最後の人類は云って、目をしばだたくのである。日本人は色々な主義、色々なイスムを輸入して来て、それを弄んで目をしばだたいている。何もかも日本人の手に入っては小さいおもちゃになるのであるから、元が恐ろしい物であったからと云って、剛がるには当たらない。〜」


***

追記:
先日聞いた話しによると、むしろ江戸が特殊な街であったようです。戸籍もない、結婚制度も存在しない、自由な気風のある種ユートピアのような稀有の都市であったとか。だから日本も昔はかっこよかったのに、というのは間違いであるようです。たまたまそういう特殊な街が一時あった、という。。

0 件のコメント :

コメントを投稿